「居る」ということについて

居るカフェが自分の店として正式に「在る」ようになると決まってからというものずっと悩んでいます。

コミュニティは閉鎖的すぎるし、かといって好き勝手に店の雰囲気を壊される(大声で絡んだり、ほかのお客さんの気分を害される某か)のも怖いななどと。

「喫茶店なのだから、食べるものや飲むものを出したら客に口を出すな」というのは違う気がしていて、「金を払っているのだから黙っていろ」も違う気がしていて、店員に良く在る義務が在るようにそこに居る人たち、いわゆるお客さんにも「できるだけ(無理にならない程度に)良く居る」ことが求められているのではないだろうかとそんな気がしています。

過剰に近くのお客さんに絡みすぎないとか、店員(居るカフェでは居る人)にあまりにも横暴な態度をとらないとかそういう程度のやつです。

幸い、間借りの時はそういう横暴なお客さんは居なくて、とても良い環境の中で居られたのですけど、おそらく店舗として成ってしまえばそういうわけにもいかないのではないかということを少しだけ怖いなと思ってしまいます。

居るカフェは決して気持ちよくなれる場所ではないと思います。

来てくれたからといって何かが変わる人も居れば何かが変わるわけでもない人も居るでしょうからその辺も確実なことは言えません。

僕は話しかけられたら話に応じるし、話しかけたりもするかもしれません。でも、無理に話を続けたりしないし、おだてたりもしません。ただ居るだけだし、なんなら別の仕事をしながら居るときだってあるかもしれない。

あくまでも居るカフェは「場」であり「喫茶店」だし、そこにあるのは一時の快楽ではなく、関係性とコーヒーとおやつと、時たまお食事くらいです。(人によっては何か別のものがあるかもしれません)

「接客」と言われるものが苦手です。

お客様は神様じゃなくて同じ人間で、僕も同じ人間ですから、コミュニケーションが最低限生じます。

それはメニューを指さして、それを僕が了解するとかその程度かもしれませんし、はたまた何かの拍子に話が弾んでしまうかもしれない。

どうなるかはそのときにしかわからないのです。

僕にできることはケーキを焼いて、待っていて、あなたが来てくれて居てくれたのなら、コーヒーを淹れて迎えることくらいです。あとは知っていることを話してみたり、少しだけ寄り添ってみようとしたりそんなこと位なのです。

「居るカフェ」はこんな面倒なことを書くような人間が運営しています。僕なら正直、顔を出すのは少し怖いなと思ってしまいます。

それでもこの文章を最後まで読んでくれて、行ってみようかなと思ってくれたあなたのことを「居るカフェ」は歓迎します。

12月下旬、居るカフェは三郷市に店舗を構えます。

今までできなかった日が落ちてからの営業もできるようになります。

居場所がないとか、日常に疲れたとか、理由はなんでもかまいません。

来てみて、居てくれて、誰かと居たいかもしれないあなたを、一人になりたいけど独りになりたくないかもしれないあなたをコーヒーを淹れながら僕は待っています。

ただ居るだけだけど、よかったら。

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居るカフェ

「日常をサボる場所」居るカフェのページです。 12時くらいから22時までです。 火曜と木曜+不定休でお休み